以前の勤務先の事務所は、貸事務所でした。その貸事務所の中には、社員の方が10名近くいらっしゃいました。貸事務所の真ん中には、大きな丸いテーブルがありました。そのテーブルで、社長を囲んでのミーティングを行った時もありました。貸事務所と言われるまではまったく貸事務所だと知りませんでした。きれいな事務所でした。
管理者の意向をしっかりと考えていくことが何より大切になっていくのでしょう。賃貸オフィスにまつわる情報をしっかりと探っていくべきなのでしょう。それぞれが必要としているものは、当然のごとく異なっているのです。賃貸オフィスの魅力をこれからはより一層アピールしていくようにしましょう。ぜひ実行に移してください。
日本相撲協会は16日、両国国技館で公益法人制度改革対策委員会を開き、年寄名跡の改革案を議論した。
公益財団法人への移行を目指している相撲協会。認定へ向けて監督官庁の文科省からは高額の金銭で売買しているとされる年寄名跡について改革を求められている。出席者によるとこの日の会合で放駒理事長(元大関・魁傑)と村山弘義副理事長ら協会幹部は、金銭での売買を禁止し、退職金に上乗せする形で名跡を協会で一括して買い上げる方針を提案したという。これに複数の親方が反発。ある親方は「理事長はもう決まったような話し方だった」と、不満を漏らした。
年寄名跡の金銭での売買を続ければ公益法人の認可は難しいといわれている。ただ、協会の一括管理を認めれば多数の親方が借金を背負う可能性も出てくるため「反対する人は多い」とある委員。議論は2時間30分にも及んだが結局、平行線をたどったままで終了。17日に親方衆による作業部会の緊急開催が決定。次回の8月5日の委員会まで作業部会を複数回にわたって開き、親方衆の中での意見をまとめる方針だ。
今後は全年寄らで構成する評議員会を臨時で招集する可能性も浮上。理事長が一括管理を提案すれば「暴動が起きるかもしれない」とある委員は明かした。委員会後、放駒理事長は無言で帰宅。八百長問題は峠を越えたが、今度は内紛の危険が相撲協会に忍び寄ってきた。
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名古屋のコロンビア代表MFダニルソン(24)が、日本代表FW岡崎慎司(25)が所属するドイツの名門・シュツットガルトに電撃移籍する可能性があることが16日、分かった。
シュツットガルトのフレディ・ボビッチ強化部長(39)とアシスタントコーチが緊急来日し、15日の新潟戦をダニルソンの代理人フェルナンド・シェナ氏とともに視察。今季、2部降格争いに巻き込まれたシュツットガルトは、昨季Jリーグベスト11に選出されたボランチの実力を直接確認。正式オファーの最終準備を整えた。
ドイツの他クラブやメキシコの名門クラブアメリカも獲得に興味を示すダニルソンは、J2札幌から名古屋に期限付き移籍中。所有権はコロンビアのメデジンと札幌が共同保有している。名古屋関係者は「うちは契約上レンタルなのでオファーが来れば、どうすることもできない」と説明した。
移籍の最大のハードルは札幌の要求する移籍金額で、ダニルソン側は今週中にも札幌強化部と交渉予定だ。「ダニは名古屋に愛着と感謝の気持ちを持っている。これからの決断を尊重する」と代理人。シュツットガルトの国内組は今月23日に始動予定で展開次第ではスピード移籍の可能性もある。
MF香川(ドルトムント)の大活躍で日本代表選手のドイツ移籍が急激に増加しているが、Jリーグの優良外国人も標的に加わった格好だ。移籍が実現すれば連覇を目指す名古屋にとっては大きな痛手だが、来季は上位進出を目指す岡崎にとっては願ってもない朗報となる。
◆ダニルソン 1986年9月6日、コロンビア生まれ。24歳。本名ルイス・ダニルソン・コルドバ・ロドリゲス。04年インデペンディエンテ・メデジン(コロンビア)でプロデビュー。09年札幌入団。昨年1月に期限付き移籍で名古屋入り。07年コロンビア代表に選出。J1通算31試合4得点。J2通算41試合6得点。185センチ、80キロ。
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◆リベルタドーレス杯 ▽決勝第1戦 ペニャロール0―0サントス(15日) ホーム&アウェー制で争われる決勝第1戦が15日行われ、かつて王様・ペレやカズが在籍したサントス(ブラジル)がペニャロール(ウルグアイ)と敵地で0―0で引き分け48年ぶりの優勝に王手をかけた。19歳のブラジル代表FWネイマールはノーゴールに終わったものの、常に攻撃陣の中心としてプレーし、貴重なアウェーでの引き分けに貢献した。サンパウロでの第2戦は22日。勝者は12月のトヨタクラブW杯(日本)に出場する。
名門サントスが南米王座奪還に王手をかけた。1930年に第1回W杯決勝が行われたウルグアイのセンテナリオ競技場を埋め尽くした5万人の相手サポーターの中、したたかに試合を運んで0―0のドロー。この日もその中心にいたのは、背番号「11」のモヒカン・エース、ネイマールだった。
得意のドリブル突破は、この日は控えめ。ゴール正面でボールを受けると相手DFがサッと寄せる。その瞬間、走り込んだ味方に絶妙なパスを出してシュートをおぜん立てした。周囲を使い続けて自らのマークをゆるめる。そして次第に、天性のゴール感覚を発揮し、ゴールに襲いかかった。ペニャロールGKソサの好セーブに阻まれ、準決勝第2戦からの2戦連発こそならなかったが“神童”は「激しい守備をしてきた。ホームの第2戦でゴールを決めて優勝したい」とV弾を予告した。
あのペレが、若き日のカズ(横浜C)が袖を通した伝統の白いユニホーム。ペレはエースとして62、63年の今大会を連覇した。その23年後の86年にはカズが入団する。今のネイマールと同じ、当時19歳だった。カズはその後キンゼ・デ・ジャウーなどを経て90年に再びサントスと契約。読売クラブに入団するまで、左ウイングで活躍した。
王様ペレ直系の後継者ネイマールは、早くから注目されていた。05年には12歳ながらRマドリードが獲得に動いたこともあった。そして現在、再びレアルの補強リストのトップに挙がっているといわれる。
くしくも今大会の第1、2回大会王者ペニャロールと、第3、4回大会王者サントスによるファイナル。ブラジルきっての名門のクラブW杯日本大会行きは目前だ。
◆サントスFC 1912年創設。本拠ヴィラ・ベルミーロは2万人収容。国内ではサンパウロ州選手権18回、ブラジル全国選手権8回優勝。62年、63年リベルタドーレス杯と同年のインターコンチネンタル杯(クラブW杯の前身)をそれぞれ連覇。ネイマール以前にもロビーニョ(ACミラン)、ジエゴ(ヴォルフスブルク)らを近年に輩出し復権著しい。
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